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2021/1/19 メギド72+4 今まで同人誌として出したものを追加
2019/5/28 メギド72+1
2019/1/31 メギド72に1つ追加
2018/8/18 開設

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2019年7月のコミックシティで出したやつです

「死」という逃れがたい自然現象について、考えを巡らせてみたことがあるだろうか?
王都の「碑」に向かい、死者に想いを馳せる人々を遠巻きに眺めながら、無言のまま私はそう誰に宛てるでもなく問いかける。
私は、ある。
あの人が逝ってしまってから、どうやら私は「死」に魅入られてしまったようだった。
いや、そもそもヴィータとして転生する際、本来生まれてくるはずだった「私」を殺しているのだから、私の「生」ははじめから「死」に彩られることが宿命づけられていたといえるだろう。
気づけばそれを集め、保存するための墓を造り、守って……そうしているうちに永遠とも思える時間が経っていた。
生命が終わりを迎えると、その魂は大地の恵みとして還り、廻り、新たなる生命を育む糧となる。
この世界(ヴァイガルド)は、そうして繰り返される無限の環によって形作られている。
ヴィータに限らず、この世界由来の生きとし生けるものにとって、「生」と「死」は分かたれたものではなく表裏一体の現象であると、私は永い年月の間に学んだ。
ヴィータの生命は、儚く脆い。長く生きてもせいぜい百年が限度である。
そして短い「生」を終え、いざ臨終の時には苦痛と、それまでの人生への後悔にまみれて死んでいく。
……少なくとも私が看取った者は、常にそうであった。
しかし、彼らは「次」があると強く信じている。
「次の幸せ」を願い、家族や愛する者が未練を残し、惑い、死してなお彷徨う亡霊となることのないようにと送り出す。
あの吟遊詩人から、ヴィータの間に伝わるおとぎ話を聞いたことがある。
大筋は、悲劇のうちに死に別れた恋人たちが、お互い前世――今の生の一つ前の生を指す言葉らしい。私の場合なら、純粋なるメギドだった頃のことだろう――の記憶を持ったまま生まれ変わり、一度死して別の生へとなっても、お互いを想う心によって今度こそ結ばれるというものである。
彼によると、細部は違えどこの手の話はヴィータたちの間に多く伝わっているという。
私のような追放メギドは長命な者が多いが、ひとたび「死」を迎えたが最後……魂は純粋なフォトンとなり、消えていく。
個々人によって質の差はあれど、一度ヴィータのものと交わった魂は、もう二度と転生することはかなわないらしい。
故に、私には「次」がない。
それどころか、「魂」そのものが消えてしまうのだから、互いに生まれ変わってまた巡り会うことはおろか、あの人の待つ死者の国にすらたどり着くことはできないのかもしれない。
遥かに永い時を生き、愛する者は逝ってしまい、ハルマゲドンに巻き込まれ、最期は誰にも看取られることなく孤独に消えていく。追放メギドに課せられた刑というのはそういうものだ。
誰の記憶にも、記録にもきっと残ることはないだろう。私を知るものは皆、いなくなってしまっているのだから。
それが私の「生」。
しかし、悲観し、自棄になるわけにはいかない。
この「生」を全うすることが、「私」になれずに、生まれることなく死んでいった「私」へ、私がしてやれるせめてもの弔いであるのだから。
だからこそ私は、せめてヴィータのうちには、私や「私」のように孤独に忘れ去られる者がないよう、彼らを見送り続けよう。
死者の国へと、愛を込めて。

《了》
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