更新履歴

2021/1/19 メギド72+4 今まで同人誌として出したものを追加
2019/5/28 メギド72+1
2019/1/31 メギド72に1つ追加
2018/8/18 開設

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2019年7月のコミックシティで出したやつです


私があの、サラという名のヴィータに抱く感情をなんと呼ぶべきか?
恋だろうか?
愛だろうか?

そもそも、感情とはなんであろうか。
感情、即ち悲しみ、怒り、憎しみ、愛エトセトラエトセトラ……といったものたちは、奥の奥まで解剖してみれば、結局のところ本能的な刺激により生起され脳内を疾駆する電気信号の数あるパターンにそれぞれ名前をつけているだけに過ぎない。
特に、「愛」。
豚共(ヴィータたち)はことさらこえを神聖視しているように思えるが、これも信号のうちの一つに名前をつけ、崇めているだけだ。

ではなぜ、これら「感情」を持つに至ったのだろうか。
交配による自らの遺伝子の保存、反映、継続。
豚の一生はすべてこれらのことに費やされているといってもよいだろう。
だから彼らは生物として優れている個体に恋をし、子を成し、そして彼らを守り育て、死ねば涙を流す。
豚の言葉を借りるならば、この過程において与えられる無条件の庇護を指して「愛情を注ぐ」というらしい。
そうしなければ生き残ることができないからそうする。
その結果、それをしない、できない個体は淘汰され。現在の「感情」……とりわけ「愛」を重要視するヴィータの文化がある。
メギドにも感情はある……が、「愛」と呼ばれる物があるかどうかは怪しい。
そもそも私達は基本的に一人一種族であるうえ、生殖をしない。
「戦争」を通して、世界に自らの名を残す。
遺伝子(gene)ではなく情報(meme)による自己の保存を行う生き物、それがメギドだ。
だから、同種に対する「愛」は存在しない。
そもそも同種が存在しないのだから、存在し得ないだろう。

そう考えるとやはり、私のこれは「愛」と呼ぶべきなのだろう。
脳髄の奥で発生するシグナルにすぎない空虚なものでも、「愛しい」と感じた私の心――魂は本物だ。

だから、オマエの行く道は我が炎が照らそう。
オマエを害すものは全て灼き尽くそう。
その短き生に、幸多からんことを願って。
最初で、そしておそらく最後の、私の同種へ。
混沌より、愛を込めて。
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